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経済学とGDP統計について考える(チャンネルAjer)

先日、インターネットテレビ「チャンネルAjer」で収録を行いました。
主に経済政策をテーマに、経済理論を踏まえながら私なりの見解を述べる場で、今回が初回です。
今回のタイトルは「経済学とGDP統計について考える」で、前半では経済政策論争が混乱する背景の一つにもなっている、経済学自身が持つ構造的な問題について、後半ではGDP統計の定義やその作られ方、ここ20年来の日本のように(名目)GDPが全く成長しないと社会的にどのような弊害(マクロレベルでの給与所得引き下げを通じた家計部門へのしわ寄せや、減価償却負担が増すことによる先行投資余力の低下を通じた国全体の生産力/国際競争力の低下)、が生じるかについて、自分なりの見解を述べています。
とはいっても、もともとプレゼンが苦手なところに、初めての経験で緊張しっぱなし、時間配分にも失敗して最後が尻切れトンボになったり(しかも結局予定時間をオーバー)、と散々な内容ですが、当日のプレゼン資料も下記の通り掲載しておりますので、ご覧いただいて何らかの参考になればと思います。
できれば2週間に1度くらいのペースで続けて行きたいと思っています。その中で自分のプレゼン能力も向上し、今の経済政策やそれを巡る議論の問題点について、1人でも多くの方に理解してもらえるようになれば、と願うばかりです。

【当日のプレゼン資料(pdf)】
経済学とGDP統計(チャンネルAjer20120629).pdf

【ユーチューブ】
第1部
第2部
第3部

【ニコニコ動画】
第1部
第2部
第3部

※日本経済再生のための財政支出拡大の必要性については、徐々に理解者・支持者が増えているとはいえ、まだまだ主要マスコミでのネガティブな報道等の影響力が強いのが現状です。ツイッター、フェイスブック等のソーシャルメディアを通じて1人でも多くの方にご理解いただくため、下記ボタンのクリックにご協力いただけると幸いです。

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大恐慌時の米国と現在の日本

去る5月31日、前回に続き「日本経済復活の会」の定例会にて、「巨大バブル崩壊後の過程に見る、日本経済復活の処方箋」と題してプレゼンテーションを行いました。当日のプレゼン資料と動画サイトへのリンク先は下記の通りです。

【当日のプレゼン資料(pdf)】
日本経済復活の会20120531.pdf

【ユーチューブ】
・前半部
・後半部

【ニコニコ動画】
・前半部
・後半部

他の方のプレゼンとの絡みで時間が押していたこともあって、あまりじっくり説明できなかったのですが、「歴史に残る巨大バブルの崩壊」としていくつかの共通点が見られる1930年代の大恐慌当時の米国と1980年代バブルの崩壊後現在に至るまでの日本を比較することを通じて、未だに低迷から脱却できない日本経済に必要な政策が何なのか、あくまでも「事実に基づき」分析したものです。
また、大恐慌の原因や解決策を巡る経済学説の対立(単純化すると、需要不足を原因として財政支出の拡大に解を求めるケインジアンと、中央銀行による通貨供給不足に原因として金融緩和に解を求めるマネタリスト)にも言及し、どちらの考え方がより妥当か、そもそもなぜこのような対立が生じたのかについても言及しています。

分析の要旨は、

・株価の動き(共にピークから8割以上下落した、というだけではなく、その形状も非常に良く似ている)に代表されるように、米国と現在の日本にはいくつかの共通点が見られるが、経済全体のパフォーマンスは、前半期は日本、後半期は米国の方が相対的に良好である(前半期の米国は、今の日本同様慢性的なデフレ状況にあると共に、ピークから4年で名目GDP即ち国民全体の所得が半減、失業率25%という、今の我々には想像がつかないほど悲惨な状況に陥った)。
・前半期の米国は、「マネタリーベース拡大額(中央銀行が直接コントロールする通貨供給量>財政支出拡大額」の関係が成り立っていて、明らかに「金融緩和積極期」であった(フローとストックの違いはありますが、今も昔も、日米とも「年間財政支出額>マネタリーベース」が通常の状態なので、こう言い切ることができます)。これに対して後半期は、第二次世界大戦への参戦を契機として両者の関係が逆転し、「財政出動積極期」に移行し、デフレからも脱却した。
・他方で前半期(1990年代前半まで)の日本は、公共事業をはじめとした景気対策を背景として「財政支出拡大額>マネタリーベース拡大額」の関係が成り立っていて、名目GDPも拡大を続けた。これに対して後半期(1990年代後半以降)は両者の関係が逆転すると共に、名目GDPは現在に至るまで横ばいで推移し、慢性的なデフレ状況にある(この間年間財政支出額も横ばい、マネタリーベースは1995年と現在を比較すると倍以上に増えています)。
・以上より、財政支出拡大こそが経済再建のための処方箋であることは明らかであり、財政支出拡大を伴わない金融緩和をいくらやっても無駄(現在の日本は過剰な金融緩和状態)。
・従って、「金本位制にとらわれたFRBが通貨供給を充分に行わなかったのが大恐慌の原因」とするマネタリストの議論は、実態を無視した誤ったものであることも明らか。中央銀行が直接コントロール可能な対象ではなく、各経済主体の借入需要(もとをたどれば)支出意欲の拡大・縮小によって増減する「マネーストック」(以前は「マネーサプライ」という紛らわしい用語が使われていました)の動き(今回プレゼン資料には出しませんでしたが、確かに米国では1929~1933年にかけて、名目GDPと共に急減しています)を取り上げて、「『マネー~』と名のつく経済指標がGDPと連動して急減している⇒故に、金融政策に問題があったに違いない」としたところに、根本的な誤り(勘違い?)がある(こうした手合いがノーベル経済学賞をもらったりFRB議長になったりするのが、この世の中の悲しい現実です)。また、マネタリストが「効果が無かった」とするルーズベルト大統領のニューディール政策(公共事業の拡大)は、上記の「前半期」に属する出来事で、実はイメージされているほど「積極的」なものではなかった。

というものです。

こうした事実があるにもかかわらず、「デフレ脱却ができないのは日銀のせいだ!!」と唱えて、与野党揃って日銀法改正案を作って空虚なアピールに一生懸命なのが、もう一つの(より一層)悲しい現実です(ノーベル経済学賞やFRB議長のポストと違って、我々の生活に直結しますから)。

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政府の役割と中央銀行の役割の違い

先日、日本経済復活の会で行ったプレゼン(演題:マクロ経済・財政政策に関する私見)についてのブログ記事の中での、「金融政策ではなく、財政政策こそが問題解決の処方箋である」という私の見解の意図について、匿名コメントでご質問いただきました。

マスメディアでは、金融緩和積極論者というか、日銀叩き論者の存在感の方が大きいということもあるので、今一度この論点を掘り下げてみたいと思います。
まず、以下のような前提を起きます。

①「誰かの所得は誰かの支出の結果である」、即ち、家計・企業・政府といった国全体の支出を合計したものと、それらの所得(「マイナスの所得」である「損失」も含む)を合計したものは等しい(厳密には輸出入等の影響があるため一致はしませんが、世界全体で見ても、またその中でも日本は特に、その影響は軽微)。
②家計・企業といった民間部門の支出は、それぞれの所得(企業で言えば「利益」に相当)の一定割合に自ずと制約される(自然な前提であることはご理解いただけると思いますし、「計量経済学」という実際のデータを活用した分析でも、支出と所得の間の長期・安定的な関係が確認できます)。

(ちなみに、国全体の経済規模を示す「GDP=国内総生産」も、上記の所得合計・支出合計と一致し、経済学の教科書ではこれを「GDP三面等価の原則」と呼んでいます)

上記のような前提のもとでは、

「政府が支出を増やさなければ、民間部門の経済活動は限られたパイの奪い合いに終始するため、経済全体の規模は拡大しない」

ということが理論的に(数学的に)導き出されます。
詳しいことは機会があれば稿を改めたいと思いますが、数学モデルとしては、ケインズ経済学の乗数理論、あるいはそれを応用した、サミュエルソン、ヒックスなどの乗数・加速度理論モデルの枠組みに似ています。
ただし、乗数理論自体は不況で通常よりも失業率が高いような経済環境を前提としているので、それが意味する内容と私の見解とは次元というか、着眼点が異なります。
敢えて関連付けるなら、実証的な観点から、「乗数理論は不況期だけでなく、長期的に当てはまる名目経済成長理論である」と捉えているのが私、ということになるでしょうか。

また、数学モデルとしては多少毛色が違います(少なくとも私はそう認識しています)が、「民間部門の支出は所得に制約され、かつ限られたパイの奪い合いに終始する」というところについては、「マクロ経済=人類の生態系」と捉えた上で、動物の生態系の捕食者と被食者(例えばヤマネコとウサギ)の関係をイメージしていただければ、納得しやすいかもしれません(「所得がウサギの個体数で、支出がヤマネコの個体数」といったところでしょうか。実際、こうした動物の生態系モデルを応用して経済の景気循環を説明しようとする試みも過去になされているので、あながち的外れな比喩ではないと思います。)。

この経済拡大メカニズムに対して、中央銀行による資金供給は、短期的にはともかく、長期的にはほとんど影響を与えません(そもそも上記の枠組みには中央銀行は一切登場しません)。
もちろん、「ある規模の経済を回すために必要な最低限の通貨量」は存在しますから、「経済規模の上限に制約を課す」という役割というか、影響力は持っていますが、それは「経済規模の拡大に与える影響力」とは別次元の問題です。
例えるならば、

・コップの大きさ(政府支出)を変えなければ、そこにいくら水(通貨)を流し込んでも、溢れるだけで飲める水の量(国民所得)は変わらない。
・火力あるいは酸素量(通貨)をいくら増強しても、素材である肉の量(政府支出)を増やさなければ、食べられるステーキの量(国民所得)は増えない。

といった感じでしょうか(以前私は、「ガソリン-通貨、マッチ-政府支出、炎-国民所得」に例えたことがあるのですが、今となっては不適当な例えだったような気がします)。

そして、各国の経済統計を集めた結果として、「一国の経済規模は公的部門の支出にほぼ比例する」ことを示しているのがプレゼン資料「日本経済復活の会20120423.pdf」の4ページである一方で、同5ページに示したとおり、15年にわたる壮大な「実験」の結果として、「公的部門の支出を増やさなければ、いくら金融緩和を行っても経済成長には結びつかない」ことを証明してしまったのが、不幸なことに我が日本国の経済であった、という訳です。

ブログを書き続けるモチベーションにもなるので、引き続きこうしてコメントいただけるのは歓迎です(閲覧できるのが管理人限定でも結構です)。

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初めての講演(「日本経済復活の会」にて)

去る4月23日、「日本経済復活の会」の定例会にて、「マクロ経済・財政政策に関する私見」と題してプレゼンテーションを行いました。
当日の模様がユーチューブとニコニコ動画にそれぞれアップロードされています(内容は同じで、どちらも前半・後半に分かれています)ので、プレゼン資料と合わせてご紹介します。

【当日のプレゼン資料】
日本経済復活の会20120423.pdf

【ユーチューブ】
前半部
後半部

【ニコニコ動画】
前半部
後半部

実はこの「講演」、何と当日の1週間前に行うことが急遽決まったものなのです。
というのも、積極財政による問題解決を10年近く主張している当会の活動に興味を持った私が、当会の小野会長宛に自分の考えをまとめた小論を添えて、ちょうどこの1週間前にメールしたところ、「4月23日の定例会で少し時間を取るから、自己紹介がてらお話してみませんか」というお話をいただき、それからバタバタと資料の準備を始め、当日を迎えた次第です。

そんな訳で、しかも元来プレゼンなるものが苦手な私にとって初めての「不特定多数相手の講演」であることも加わり、相当にぎこちなく、本人にとっては恥ずかしくて見ていられない内容となっていますが、日本の政治・経済問題を考える1つの材料として、ご覧いただければ幸いです。

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日本はインド病か~三國陽夫「黒字亡国」を読む

(この記事は、2011年8月23日にBloggerに載せたものを転載しています。)

以前、三國陽夫著「黒字亡国~対米黒字が日本経済を殺す」を読みました。


著者は「経常収支の黒字(が外貨建て資産として貯めこまれ、自国での投資に使われないこと)こそが日本のデフレの原因である」という主張を、20世紀前半までのヨーロッパの植民地経営のあり方、第1次世界大戦下の日本の経験、米ドル基軸通貨制を巡る米と独仏の抗争(片やニクソン・ショックへ、片やEU及びユーロ発足へ)、といった歴史的なエピソードを交えながら展開しています。

「経常黒字=デフレの原因」という議論自体はストレートには受け入れ難いものですが(巨大な経常黒字とインフレが並存している今の中国が反例)、いずれについても公的支出の抑制が背景にある(デフレについては別途「為替介入こそ最大の無駄遣い」で検証したとおりですし、支出の拡大それ自体がマクロ的な貯蓄超過=貿易黒字を削減する効果があります)、という私自身の見方からも上記のエピソードは興味深く、示唆に富むものです。そんな訳で、同書の一端をこの場で紹介したいと思います。

(以下は同書の要旨の一部を私なりにかいつまんだものです。)

 イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の貿易黒字を計上していたが、その輸出代金は自国通貨ルピーではなく、イギリスの通貨であるポンドで決済された。当時は金本位制であったが、インドが稼いだポンドを金と交換することを望んでも交換されず、もっぱらイギリス国内にあるイギリスの銀行に預けられた。

 これによってイギリスは、自国通貨を切り下げて高い輸入コストを負担することも、金流出に対応して金融引き締めを行って自国経済に悪影響を与えることも無く、インドとの取引を継続することができた。のみならず、赤字分に見合って創出されたポンド預金が銀行の積極的な貸出を可能にし、結果としてイギリスの経済成長を加速することになった。

 一方インドでは、稼いだ黒字を自国内で産業投資や生活向上のために使うことができなかったため、経済が低迷したことに加え、慢性的なデフレに悩まされることになった。この現象は、企業が売上代金を回収できずに売掛金を貸付金として計上することに似ている。会計上は売上として計上されても、実際には売上代金は手元に入らないため、売上が伸びたにもかかわらず、企業は資金的には苦しくなる。

 このように、ヨーロッパの宗主国は極めて巧妙に仕組んだ制度によって、それぞれの植民地の国内政治に合う方式で通貨制度を採用させ、見えないように富を移転していた。

 ここで、宗主国をアメリカ、植民地を日本に置き換えてみると、まさしく現在のアメリカと日本の関係にあてはまる。輸出依存型の経済モデルに固執する日本は、その最大の障害となる円高の進行を阻止しつつ、最大の輸出国であるアメリカ国民に日本製品を買わせるための資金を恒久的に提供してきたのである。

 第二次世界大戦後、日本と対照的な道のりをたどったのが(西)ドイツである。両国ともアメリカへの輸出をテコに経済復興を遂げたが、経常収支の黒字化はむしろ旧西ドイツの方が早かった。しかしながら、第一次世界大戦後のハイパーインフレの経験もあり、ドルを買い支えるためのマルクの増発がインフレにつながることを警戒したドイツは、アメリカの赤字垂れ流しを警戒してドルと金との交換を強行したド・ゴール大統領のフランスと手を組み、変動相場制でのドルと自国通貨との決済を甘受する一方で、のちのユーロにつながるヨーロッパ通貨制度を発足させるに至った。

(要約終わり)

同書の中で紹介されている、ヘルムート・シュミット(元西ドイツ首相)著「シュミット外交回想録」には、「ドイツ人は貿易と経済政策において、大抵は日本政府と一緒に、国際的被告席に座らされている」とした上で、「日本経済は誤った輸出依存の構造を持っており、日本がその異常に高い貯蓄と資本形成率をはるかに多く自国での投資に使い、そして一般的生活水準向上のために、そうした高い率を同時に下げることを学ぶなら、非常に有益であろう」という日本への忠告が書かれているとの事です(こちらもいずれ目を通してみたいと思っています)。






また、こうした記述を踏まえると、「協調為替介入」に本気になってくれる欧米諸国などは存在せず、所詮は日本政府の一人相撲なのかな、と思わざるを得ません(私自身は上記「為替介入こそ最大の無駄遣い」で述べたように、もともと為替介入の意義そのものに否定的なのですが・・・)。

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為替介入こそ最大の無駄遣い~その分実体経済向け財政支出を拡大すべき

(この記事は、2011年8月7日にブロガーに載せたものを転載しています。)

1ドル=76円の円高水準に達したのを受けて、政府・日銀による円売り・ドル買い介入が8月4日に実施されました。金額にして4兆5千億円と、1日の円売り介入額としては過去最大規模との推計もあるようです。

政府は「投機的・無秩序な動きの抑制が目的」としており、一般的にもこうした介入は、製造業の業績悪化やデフレ進行等に経済下振れリスクに対処したものと理解されていると思いますが、財政政策・経済政策の観点からすると、


「為替介入は政府債務の増加を伴う、れっきとした財政行為である。にもかかわらず一般的な財政支出と異なり国内経済への波及効果は乏しい、いわば最悪のお金の使い道である」
「中長期的な為替レートの決定要因である『物価』に影響を与えるのは実物需要としての政府支出であり、為替介入のような金融取引ではない。」


の2つの理由から、全く無意味であり、中長期的にはむしろ弊害の方が大きいと考えられます(「全てマーケットメカニズムにゆだねるべき」といったいわゆる市場主義の観点は全く入っていませんので、念のため)。
また、ここからは「そんな金があったら一般の財政支出の拡大に充てる方が国内経済(国民)にとってもメリットが大きいし、その方がむしろ為替問題の解決につながる」という結論が自ずと導き出されます。


①為替介入とは国内経済への波及効果が乏しい、最悪の財政支出行為である

為替介入とは「政府が政府短期証券(=国債)の日銀引受を通じて得た円資金によって外貨(最終的には米国債等)を買う」行為です。つまり、国債が税金と並ぶ国家財政運営のための資金調達手段であることからすると、れっきとした財政支出の一環であり、事実上「国民の税金で米国に投資する」に等しいとも言える行為です。

制度上は「外国為替資金特別会計」という枠組みで運用されており、決算内容は財務省ホームページで確認できます。
2010年3月末の貸借対照表を見ると、負債の部には政府短期証券(=国債)106兆円が計上されています。為替介入の大半は円売り介入なので、これは過去行われてきた為替介入の累計額に概ね近い数字と考えられます(「短期証券」と言いますが、借り換えを繰り返して事実上長期固定化された債務です)。
「震災復興の財源確保や財政再建のために増税が必要」と片方で言っておきながら、一般国民や国内の企業活動に何ら恩恵をもたらさない「海外投資」のために1日で4兆円もの支出がなされている訳です。
「いまや政府債務はGDPの200%に達し、国際的に見ても最悪の状況」と言いますが、そのうちの20%、つまり債務の1割はこんなことのために使われている訳で、ある意味納税者を非常に馬鹿にした話です(最悪だったのが小泉政権当時の2003~2004年で、財政緊縮路線で国民に痛みに耐えることを強いる一方で、同期間だけで総額35兆円という前代未聞の為替介入を実施しています)。

これと比べれば、少なくとも「国内の家計や企業に所得が循環して経済の活性化につながる」という意味では、「穴を掘ってまた埋めるだけ」レベルの「無駄な公共事業」の方がよっぽどマシと言えるのではないでしょうか?(現実にはそこまで無駄なレベルのものはごく一部であるにもかかわらず、「財政再建」の名の下に、この15年で公共投資はほぼ半減しています)
結果として国民が所得が増加して国内マーケットが拡大する、という意味では、製造業にも少なからず恩恵があることは言うまでもないでしょう。

しかもこの為替介入、国民にとって最も恩恵が乏しい財政支出であるにもかかわらず、国会の議決等を経ず、財務大臣の一存で行われます。
片や、補正予算に国会の議決が必要であり、財政法で国債発行や日銀の国債引受に大きな制約が課されていることからすると、およそまともな財政運営とは言えないのではないでしょうか。

②中長期的な為替レートの決定要因である「物価」に影響を与えるのは実物需要としての政府支出である

為替レートの決定要因として、金利/政策要因(含金融政策)/事件(戦争、テロ、災害、選挙etc.)などが挙げられますが、いずれも短期的なものであり、為替取引の「実需」が国際間貿易の決済にある以上、中長期的には両国間の相対的な物価水準が主な決定要因(物価上昇率が高い、即ち相対的にインフレ傾向の強い国の通貨が安くなる)であると考えられます(相互作用的なところもあり、一方的な因果関係と割り切りづらいところがあるのも事実ですが)。
例え「為替取引の9割方が実需取引ではなく、投機的な金融取引」であったとしても、所詮は実需あっての投機的な思惑であり、思惑だけで中長期的なトレンドを説明するのに無理があることは、株式市場や商品市場を思い浮かべれば自ずと明らかでしょう。

図1はこれを示したもので、変動相場制に移行した1973年以降、円ドルレートのトレンドは日米両国の物価水準の相対パフォーマンスのそれに合致していることがわかります。
(他方でマネタリーベースについては、しばしば5~10年のレンジでのトレンドの逆行が見られるなど、決定要因としてのウェイトが低いことは明らかであり、時折唱えられる「日銀何とかしろ」的な議論は合理性が乏しいことを示しています)
図1:ドル円レート及び日米物価・金融パフォーマンスの長期推移.pdf

では、物価水準の相対パフォーマンスはどのように決まるのか。以前、「日本経済長期低迷の原因~全ては財政政策にある」」という記事を掲載しましたが、その際に、「一国の名目GDP成長率は、その国の名目公的支出伸び率と一致する」ことをグラフで示しました。
図2:名目公的支出伸び率と名目GDP成長率の長期的な関係.pdf

名目GDP成長率は「実質GDP成長率+GDPデフレーター(物価指数)伸び率」の2つの要素に分解することができます。そして、最近の新興国関連の報道を見ればわかるように、高成長には高い物価上昇率が伴うのが通常です。

ここで、「名目公的支出伸び率が高い国は名目GDP成長率が高く、結果として物価上昇率も高くなる」という図式が成り立っているのではないか、という予想が自ずと出てきます。そして、この図式が実際に成り立っているのを示したのが図3です(G7諸国を含め、かつ測定期間をそろえるため、図2より対象国数が少なく、かつ期間が短くなっています)。
図3:名目公的支出伸び率とGDPデフレーター伸び率の関係.pdf
さらに、より直接的に、「名目公的支出伸び率が高い国ほど通貨安になりやすい」ことを同じ期間で検証したのが図4です。
図4:名目公的支出伸び率と自国通貨上昇率の関係.pdf

ここで言う「公的支出」には、消費・設備投資・在庫といった、国民所得を生み出す「実物需要」であり、為替介入のような金融取引は含まれていません。
つまり、日本経済のゼロ成長同様、円高トレンド(ひいてはデフレ)を生じさせているのは他ならぬ日本政府自身の緊縮財政であり、この状況を変えたければ公的支出を持続的に拡大するしかない、というのが実証的な結論なのです。

このようなことを書くと、経済学に詳しい方の中には、「財政拡大は為替レートの増価(自国通貨高)をもたらす」という「マンデル-フレミング・モデル」に矛盾するのではないか、という疑問を抱く方もいるかもしれません。しかしながら、仮に同モデルが論理的に正しいとしても、それは「金融政策が中立」という、現実的にはありえない前提での話であって、現実は図3及び図4に示した通りなのです(現実には経済成長に合わせて通貨供給も拡大されるので、その時点で金融政策は「中立」とは言えなくなる)。

以上より、冒頭に述べた「為替介入をするくらいなら、その分一般的な、いわゆる国内実体経済向けの財政支出の拡大に充てる方が国内経済(国民)にとってもメリットが大きいし、その方がむしろ為替問題の解決につながる」という結論が導き出されるのです。

ところが、実際に日本政府がやっていることは、自ら円高の原因(財政支出抑制)を作り出しておきながらそれを改めることなく、せいぜい短期的な解決にしかならない為替介入を繰り返すことで、却って問題を悪化させている(少なくとも政府債務を増加させた分だけ、財政支出抑制や増税の口実を強化することにもなりかねず、結果として根本的な解決をしづらくしている)、ということなのです。

もちろん、野放図に財政支出を拡大してインフレ率を極端に高めるのが正しい政策である、という主張をするつもりはありません。
しかしながら、この15年間支出を抑制して経済成長を止め、自国通貨高と共に産業の空洞化を招いている現在の財政政策は、違った意味であまりにもバランスを欠いており、様々な弊害をもたらしていることは事実です。
その意味ではやはり、「持続的な公的支出拡大による、適正レベルでの経済成長実現」が正しい経済政策のベースと言えるのではないでしょうか。

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特例公債法案は本当に必要か~財政法4条1項は違憲立法?

(この記事は、2011年7月24日にBloggerに載せたものを転載しています。)
最近、政治関連のニュースでしばしば「特例公債法案」という言葉が登場します。

例えば、

特例公債法案 民主党は成立へ責任を果たせ(2011/7/21付・読売社説)
「退陣3条件」大詰めに=特例公債法案が焦点(2011/7/23・時事ドットコム)
民主の公約見直しが前提=特例公債法案への協力-自民・石破氏(2011/7/23・時事ドットコム)

要は、

・公共事業等の財源に充てる以外の目的で国債を発行することは法律上認められていない(財政法4条1項)。
・しかし、現実にはそれ以外の財源をまかなうのに税収等だけでは足りず、このままでは既に成立している予算が執行できなくなり、行政サービス、ひいては国民経済に重大な影響が生じる。
・従って、上記以外の目的で国債(いわゆる「赤字国債」)を発行することを特例的に認める法律を別途成立させることが必要である(これは年度毎の恒例行事のようになっています。例えば平成22年度)。
・しかし、法律の成立には衆議院・参議院両方の可決か、衆議院での3分の2以上の賛成による可決が必要(憲法59条)であり、今の「ねじれ国会」(かつ衆議院の与党議席数も3分の2未満)では与党だけではどうにもならず、菅首相の「退陣3条件」とも絡んで、政局の材料となっている。

ということのようです。

このようなニュースを目にしていて、ふと次のような疑問が湧いてきました。

「これって、参議院(あるいは野党)は『特例公債法案』を人質にとって予算を事実上葬り去ることが可能、ってことなんじゃないか?」
「でもそれって、『予算について、両議院の意見が一致しない時は衆議院の議決を国会の議決とする』として予算に関する衆議院の優越を認めた憲法60条を骨抜きにすることになるよな。だとすると、そもそも財政法4条1項って違憲立法なんじゃないか?」

そう思って、憲法や財政法に関する本を何冊か図書館で借りて目を通してみたところ、どうやら憲法の中でも60条は(例えば9条なんかと比べて)あまりメジャーな論点でないらしく(恐らく憲法の中でも実務に近いテーマということで、あまり学者の興味を惹かないのでしょう)、充分な議論や分析がなされている訳ではないようです。

そんな中でも、自分自身の(民間企業の社員としての)実務感覚にもマッチし、「なるほど、そうだよね」と思ったのが以下に引用する記述です(著名な芦部信喜「憲法」も含め、他の本では「なぜ予算については衆議院の優越が特に強いのか」はそもそも論点にさえなっていませんでした)。

「予算の場合に、法律の場合よりも、衆議院の優越の程度が強いのは、予算の存在は行政の日常の運行にとって欠くことのできない必要であり、したがって、予算については、一定の期間内に確実に成立することが、法律についてよりも、国政の運用上より強く要望されるからである。
(宮澤俊義「全訂 日本国憲法」第2版/日本評論社・467ページ)



この解説を、実際の憲法の条文と照らし合わせてみれば、

・国債発行は85条で「国費の支出」と並べられている国の行為(「国が債務を負担」に該当)であり、それを受けて次の86条で予算の国会決議が定められていることからすれば、国債発行も当然予算の対象の一部である(当たり前のように聞こえるかもしれませんが、学者の世界では、そもそも「予算」の定義、即ちそこに「歳出だけでなく、国債等による資金調達も含めた『歳入』を含めるか否か」ということについても、あいまいなようなので、念のため)。
・税金についての84条のような、個別に法律による定めを求める規定(税金については、不当な課税から自由権を保護する趣旨でこうした規定が設けられたと考えられます)が存在しない以上、国政の運用上の観点から、国債発行についても60条によって衆議院の議決だけで実行できる対象として、敢えて位置づけているのが憲法の趣旨である。
・即ち、「国債発行に法律のレベルで制約をはめている財政法4条1項は憲法60条の趣旨を逸脱した違憲立法である」か、少なくとも「憲法60条にのっとって赤字国債発行を前提とした予算が成立した時点で、そちらの方が財政法4条1項に優先される(その意味では同条項は『できるだけこうすべき』という訓示規定以上の意味は持たない)」のいずれかであり、いずれにしても別途「特例公債法案」なるものを成立させる必要は無い。

と解釈・運用すべきではないでしょうか。
自民党の「一党独裁」下では特に問題にならなかったのかもしれませんが、これも政治の世界に散見される、時代の変化に取り残された「制度疲労」の1つではないでしょうか。

これが政争の具となり、震災への必要な対応がさらに遅れている(あるいは遅れかねない状況が見えてきている)ことによって、弊害がより明確になってきたのが現在の状況です(さらに言えば、この法律があることが、増税議論の背景の1つにもなっているように見えます)。

本来であれば財政法そのものを改めるべきですが、少なくとも国難を前にした緊急対応として、特に野党である自民党は、特例公債法案を人質にすることは即刻止めるべきだと思います(菅首相の進退を争いたければ、他のところで争うべきです)。

なお、財政法4条については、

「同条の意義は、戦前のわが国において安易に公債の発行による財政運営を許したことが戦争の遂行・拡大を支える一因となったことを反省し、無原則な借金財政を自らいましめることにより、健全な財政運営を行おうとする決意を表明することにあるといえよう。」
(杉村章三郎「財政法」〔新版〕/有斐閣・47ページ)

という解説がありましたが、軍部の暴走を許すようなメカニズムを抱えた大日本帝国憲法が前提となっていたことがそもそもの問題であって、これを現在の日本国憲法下の制度に当てはめるのは明らかに論点のすりかえであり、ナンセンスでしょう。
もし本当にこうした発想で政治が運営されているとすれば、それこそ時代錯誤以外の何物でもなく、直ちに発想を転換すべきです。

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日本経済長期低迷の原因~全ては財政政策にある

(この記事は、2011年7月26日にBloggerに掲載していたものを転載しています。)

日本の名目GDPは過去15年間、ほぼゼロ成長です。
当然ながら家計所得も全体として横ばいで、いわゆる格差問題が生じています。
当然企業も成長機会を海外に求めるようになり、産業空洞化・国際競争力低下も年々進行しています。
そうした中で政府債務だけがふくれ上がり、年金制度の持続性が取りざたされています。
いろいろな意味で、全体的な閉塞感が漂った15年であったように思います。

これらをもたらした「ゼロ成長経済」の原因が、突き詰めると「過去15年間にわたる(政府を含む)公的支出の抑制」であることを実証的に分析したのが下記レポート(PDFファイル)です。

↓分析レポートURL(PDFファイルです)
20110717復興&経済再生に向けた提言.pdf

要点は、

・一国の名目GDPの長期的な水準は、その国の公的支出額に比例する(金融政策・構造問題・人口減少のいずれもほぼ無関係)。
・公的支出を持続的に拡大することが、低成長のみならず、政府債務や年金といった問題の解決にもつながる(裏を返せばこれまでの支出抑制路線こそ、問題を深刻化させた原因である)。

というもので、一般的な理解や最近の経済学界の主流の考え方ともおおよそかけ離れた結論ですが、事実に基づけばこう考えざるを得ませんし、ケインズ経済学の「乗数効果」を素直に当てはめれば、自ずと引き出される結論です。
問題解決のためには政府のみならず、有権者たる国民の1人1人が、発想を転換する必要があるのではないでしょうか。

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島倉原(しまくら はじめ)

Author:島倉原(しまくら はじめ)
 経済評論家。株式会社クレディセゾン主任研究員。経済理論学会および景気循環学会会員。
 メルマガ『島倉原の経済分析室』(毎週日曜日発行)や、メルマガ『三橋貴明の「新」日本経済新聞』(隔週木曜日寄稿)の執筆を行っています。

著書『積極財政宣言:なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』(新評論、2015年)

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