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保守主義とケインズ主義

※この記事は、言論ポータルサイト「アスリード」にも掲載されています。

インターネット動画「チャンネルAjer」の収録を行いました。今回は「保守主義とケインズ主義」というタイトルで、全体で約40分のプレゼンテーションになっています。

今回は、いわゆる「保守思想」について学問的に語ろう、という趣旨ではなく、あくまで経済政策のあり方についてのプレゼンの一環です。
現在、日本経済の長期低迷の原因を分析した論文を執筆中で、次回以降はその説明を予定しています。そこでの議論の重要な基礎にもなっている、「雇用、利子、お金の一般理論」(以下、「一般理論」)の著者として有名なイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)の考え方に前段として触れておきたい、というのが今回の趣旨であり、そのためのキーワードとして「保守主義」という言葉を用いています。

↓今回のプレゼン資料(PDFファイル)です。
保守主義とケインズ主義(チャンネルAjer20131129).pdf

↓動画へのリンクです。
「保守主義とケインズ主義①」島倉原
「保守主義とケインズ主義②」島倉原




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以下はプレゼン内容の概要と補足です。
伝統保守と経済保守

ウィキペディアの「保守」という項目には、下記のように記述されています。

保守主義は伝統に倣い、これを墨守することを重要視する政治思想である。伝統とは何かに関しては様々な見解がありうる。
伝統や文化を重んじる伝統保守と、古典的自由主義ないし新自由主義を標榜する経済保守、国益や国家への奉仕を尊重する国家保守主義は、それぞれが目指す目標が異なる。保守主義を標榜する者の思想には、これら3つの要素がある程度の割合で混在しているのが普通であるが、保守主義のどの側面を重視するかで対立が生じることもある。」
(引用終わり)

「伝統保守」では、文明社会とは社会的存在としての人間に利益をもたらすための制度という前提のもと、それを成り立たせている「コモン・ロー(古来からの法)」の維持、存続が重視されます。コモン・ローには慣習や、時には身分制度も含まれ(場合によってはそういったものにより重きが置かれ)、18世紀イギリスの政治家で「保守主義の父」とも称されるエドマンド・バークが著した「フランス革命についての省察」に表現されているように、いわゆる既得権益層と結びつきやすい考え方と言えます(バーク自身は「自由党」の前身である「ホイッグ党」に属していて、保守主義者ではなく「自由主義者」に分類されることもあるようですが、彼自身地主階級という、当時の既得権益層に属していたこともまた事実です)。

これに対して「経済保守」では、伝統保守においては社会制度の枠内で相対化される「自由」に重きが置かれます。
いわゆる「新自由主義」に見られるように、典型的には資本家層、あるいは「企業社会の勝ち組」と結びつきやすい考え方なのですが、「自由主義=アンチ支配階級」という構図で、より幅広い層と結びつく場合もあり得ます。

典型例が、18世紀にトーマス・ペインによって書かれ、アメリカ独立革命に大きな精神的影響を与えた「コモン・センス」というパンフレットで、そこでは自由と安全こそが「必要悪である政府」の存在目的であること、宗主国イギリスの国王と上院は「君主専制と貴族専制という2つの暴政の遺物」であって国の事由に何ら貢献しない存在であり、その支配から脱して「悪徳が最小化された政府」を作るべきことが説かれています。
ペイン自身は思想史上「保守主義者」と位置付けられてはいないようですが(彼は、フランス革命をほぼ全否定したバークに反論する「人間の権利」を著したりもしています)、今やこうした「建国の理念」こそ、多くのアメリカ人にとっての「保守すべきもの」になっているのもまた現実でしょう(これはいわゆる新自由主義や、その代表例とされる「ウォール街の強欲資本主義」とは一線を画した人々にもあてはまります)。

「経済保守」は産業革命の発祥地イギリスをルーツとしつつも、近代になって成立した、伝統の浅い国家であるアメリカでより徹底され、同国及び資本主義の勢力拡大と共に広がった考え方(その分伝統保守は廃れた)と捉えることもできるでしょう。
ケインズが一般理論を書いたのは、第1次世界大戦を経て、いわゆる覇権国家がイギリスからアメリカにシフトし、経済学界では新古典派経済学が主流となっていた時期にあたります。


ケインズ「一般理論」の提言

ケインズは「一般理論」の冒頭で、「古典派理論(=自由主義経済学)は、実際の経済社会の特徴とは違った特殊なケースにしか当てはまらない、間違った方向を示す経済学である」としています。彼は、経済合理性を備えた個人や企業によって経済全体が構成される「完全競争」の前提に立った古典派理論が導き出す、

現実に発生している失業は、お金を単位として表示される「名目賃金」の引き下げに対して、労働者が自分の意志で合意していない(言い換えれば、「働かされることのデメリットと、物価の影響を加味した実質的な労働所得を手に入れることのメリットが釣り合っていない」と、自ら合理的に判断している)結果であって、「非自発的な失業」には該当しない。したがって、(政府が)余計なことをしないのがベストの状態である」

という結論を「非現実的」と批判します(反論材料として例えば、「名目賃金がそのままの状態でインフレが実質賃金を低下した場合でも、労働者の供給が特に減る訳ではない」という現実を指摘しています)。
そして、現実の経済では「『名目ベース』の所得の流れが人々の行動に強い影響を与える」(経済学で「貨幣錯覚」と呼ばれる現象です)がゆえに不可避である非自発的失業が存在する時には、政府が公共事業を通じて社会全体の総支出(=総所得)を増やすことによって名目所得、すなわちお金の流れを生み出すことで「完全雇用」を実現すべきである、という議論を展開します。


ケインズ経済学のその後

第二次世界大戦後から1970年頃にかけては、上記のようなケインズ経済学、あるいはケインズ経済学と新古典派経済学をつなぎ合わせた「新古典派総合」が経済学界でも主導的な地位を占めたものの、ミルトン・フリードマンに代表される新古典派ベースのアンチ・ケインズ経済学が盛り返して現在に至っています。

その背景には1970年代のスタグフレーションなどがあったのも事実ですが、そもそも上述した「アメリカ的保守主義」のもとでは、「必要悪」であるはずの政府に積極的な役割を認め、あまつさえ「『お金を穴に埋めて掘り出させる』という、全く無駄に見える公共事業であっても、何もしないよりはマシ」というケインズの考え方は受け入れ難い、という事情もありました(無駄な公共事業に関する記述には、実際には「本来は経済合理性に適った事業を行うべきだが、なまじ事業性にこだわって実行が遅れるくらいなら」という前提がついており、この部分はしばしば曲解されています)。
実際、アメリカで反共産主義運動(マッカーシイズム)が激化した1940年代終わりから1950年代半ばにかけて、ケインズ経済学は「マルクス経済学と並ぶ危険思想」と位置付けられてさえいたようです。

こうした流れの中で廃れていたケインズ経済学ですが、「サブプライムバブルの崩壊→リーマンショック」を経て自由主義経済学の行き過ぎが明確になり、改めて注目されるようになっています。


社会思想家としてのケインズ

ケインズ自身、自分の理論に対する「アメリカ的保守主義」からの批判は想定しており、それに対する答えを「一般理論」にもあらかじめ用意していました。
それは、「投資の社会化(公共事業)は国家社会主義体制を主張するものではなく、伝統的な個人主義の長所を上手く発揮させ、将来の改善が有効に機能するための『多様性』を保持するためのものである」というものです。
すなわち、生産要素の最適な配分をもたらす自由主義経済の長所を認めてそれ自身を「保守すべき多様性」の一要素として伝統に取り込む一方で、そのメカニズムが適切にて発揮される(=個々の意思決定が道理に適ったものになる)重要な前提こそ「完全雇用」という国民全体の経済的な充足である(そして、民間任せでは完全雇用が実現しないため、政府による「支出主体」としての経済活動への一定の関与が必要である)、という考え方で、「衣食足りて礼節を知る(=経済的な充足を得ていれば、過度な経済合理性に偏った意思決定をする必要がなくなる)」ということわざにも通じるものです。

こうした考え方は、伝統保守的な近代合理主義への懐疑、新自由主義的な極端な自由主義のいずれとも一線を画した、保守主義の1つのあり方ではないでしょうか(あえて言うなら、自由主義を絶対視せず、「自由主義が適切に発揮される制度」の保持を重んじた、「修正資本主義」ならぬ「修正経済保守主義」)。
こうした懐の深いケインズの発想は、恐らくは政府高官、学者、投機家、実業家等々を股に掛けた、彼の幅広い経験に裏打ちされたものなのでしょう。
先行きが不透明な状況でややもすると極端な議論が横行する中、単に財政政策の重要性を提唱した経済学者としてだけではなく、社会思想家としてのケインズについても、今一度見直される価値があるように思います。

上記で述べたケインズの思想は、「一般理論」では主に第24章で展開されています。
少々長くなりますが、該当する記述をご紹介して本稿を締めくくりたいと思います(極端な自由貿易主義を批判的に検証した第23章も一読の価値ありです。翻訳された山形浩生氏のサイトで校正前の翻訳全文や要約版を見ることも可能です)。

「他の一部の側面からしても、これまでの理論が示唆するものは、そこそこ保守的です。というのも、現在は主に個人の主体性に任されている事柄に対して、中央によるコントロールをある程度確立することがきわめて重要だと示してはいるものの、まったく影響を受けないきわめて広範な活動領域が残されているからです。(中略)銀行政策が金利に与える影響は、最適な投資量を独自に決めるには不十分だろうと思えます。ですから、いささか包括的な投資の社会化が、完全雇用に近いものを確保する唯一の手段となるはずだ、と私は考えるのです。これは、公共政府が民間イニシアチブと協力する各種の妥協や仕組みを排除するものである必要はありません。でもそれを超えるところで、社会のほとんどの経済生活を包含するような、国家社会主義体制などをはっきり主張したりするものではありません。国家が実施すべき重要なことがらは、生産の道具を所有することではないのです。もしも国が道具を増やすための総リソース量を見極められて、その所有者に対する基本的な報酬率を見極められたら、それで必要なことはすべてやり終えたことになります。さらに社会化に必要な手立てはだんだん導入すればよく、社会の一般的な伝統に断絶が生じる必要はありません。
 受け入れられている経済学の古典派理論に対する私たちの批判は、その分析に論理的な誤りを見つけようとするものではありませんでした。むしろその暗黙の想定がほとんどまったく満たされておらず、結果として現実世界の問題を解決できないというのが批判の中身です。でも私たちの中央コントロールが、実際に可能な限り完全雇用に近い総産出量を確立するのに成功したとしても、その点から先になると、古典派理論は再び活躍するようになります。産出量が所与とすれば、つまり古典派の思考方式の外側で決まるとすれば、何を生産するか、それを生産するのに生産要素がどんな比率で組み合わさるか、最終製品の価値がその生産要素にどんな形で配分されるかについては、民間の自己利益をもとにした古典派分析に対して、何ら反対すべき理由はないのです。(中略)民間の発意と責任を行使する余地は相変わらず広範に残されるでしょう。その余地の中では、伝統的な個人主義の長所が相変わらず成り立つのです。
 (中略)個人主義は、その欠点や濫用さえ始末できるなら、個人の自由をいちばん守ってくれるものとなります。なぜなら他のどんなシステムと比べても、それは個人選択を実施する場を大幅に広げるからです。また人生の多様性をいちばんよく守ってくれるものでもあります。これはまさに、それが個人選択の場を拡大したことで生じており、それを失ったことは均質国家や全体主義国家の損失の中でも最大のものです。というのもこの多様性は、全世代の最も安全で成功した選択を内包した伝統を保存するからです。それは現在をその気まぐれの分散化によって彩ります。そしてそれは伝統と気まぐれの従僕であるとともに、実験のメイドでもあるので、将来を改善するための最も強力な道具なのです。
 ですから政府機能の拡大を行い、消費性向と投資誘因それぞれの調整作業を実施するというのは、十九世紀の政治評論家や現代アメリカの財務当局から見れば、個人主義への恐るべき侵害に見えるかもしれません。私は逆に、それが既存の経済形態をまるごと破壊するのを防ぐ唯一の実施可能な手段だという点と、個人の発意をうまく機能させる条件なのだという点をもって、その方針を擁護します。」
(ジョン・メイナード・ケインズ「雇用、利子、お金の一般理論」~山形浩生訳、講談社学術文庫~より引用)

(参考文献)
ジョン・メイナード・ケインズ「雇用、利子、お金の一般理論
エドマンド・バーク「フランス革命についての省察(上)」または「新訳 フランス革命の省察-『保守主義の父』かく語りき」(後者は翻訳者の編集色が濃い「編訳」ですが、その分整理されていて読みやすいとは思います)
トーマス・ペイン「コモン・センス 他三篇
ジョン・C・ボーグル「マネーと常識~投資信託で勝ち残る道
(著者はバンガード・グループという、強欲資本主義とは対極的な米国大手ファンド会社の創業者で、私が取締役を務めるセゾン投信と同社が事業パートナーであることを抜きにして、ある意味尊敬に値する人物です。本書は社会思想や経済学ではなく、株式投資についての本ですが、今回トーマス・ペインを取り上げたきっかけにもなっていて、「強欲資本主義と対極にある人物がアメリカ的保守主義をベースとしている実例」を示した参考文献としてピックアップしました。投資・資産運用に興味があるなら一読の価値はあると思います)
宇沢弘文「経済学の考え方
中野剛志「国力論」「保守とは何だろうか

※日本経済再生のための財政支出拡大の必要性については、徐々に理解者・支持者が増えているとはいえ、まだまだ主要マスコミでのネガティブな報道等の影響力が強いのが現状です。1人でも多くの方にご理解いただくため、ツイッター、フェイスブック等下記ソーシャルボタンのクリックにご協力いただけると幸いです。

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島倉原(しまくら はじめ)

Author:島倉原(しまくら はじめ)
 経済評論家。株式会社クレディセゾン主任研究員。経済理論学会および景気循環学会会員。
 メルマガ『島倉原の経済分析室』(毎週日曜日発行)や、メルマガ『三橋貴明の「新」日本経済新聞』(隔週木曜日寄稿)の執筆を行っています。

著書『積極財政宣言:なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』(新評論、2015年)

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